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2023.07.12

ひとはり日記 戸塚家の猫の話vol.1

 

我が家には結婚当初からつい最近に至るまで、ある一時期を除いて常に猫との生活がありました。

結婚当初の私にとって、初めて出会った猫の名は「にゃ〜」。

まさかこの子と長いお付き合いになるとは思わず、安易に呼んでいました。

ところが後でわかったことですが、偶然にもこの子の名前が大先生の戸塚家と我が家との繋がりを感じるものだったのです。

 

ここで分銅町の大先生の戸塚家とお向かいの太田家(貞子前会長の嫁家)の話に遡ります。

私の目で見てきたことは高々40年程の期間ですので、夫の昔話も交えて私の理解の範囲でお話しいたします。

 

元々、戸塚家と太田家は来るもの拒まずの精神で、戸塚では猫、太田では犬と一緒に暮らしておりました。

夫曰く

「この子たちはペットではない。だから飼うのでは無く、家族として生活している。」

だそうで今では考えられないことですが、犬もいたって自由に家を出たい時に出て、行きたい所に行っていたようです。

夫が中学の時など登校時に校門まで送ってくれる犬もいたとか…。

その子は弱っている子犬を家まで連れてきて「よろしく」という時もあったそうです。

 

一方戸塚では猫の名前が数字になっておりました。

九ちゃんが多産の母猫でその後も紆余曲折あり、私が初めて分銅町に伺った40年前はニナさん(27)が一番若い猫でした。

ここで我が家の「にゃ〜」に戻ります。

もうお分かりかと思いますが、偶然にもその「にゃ〜」は28番目となり、我が家との縁と分銅町の戸塚家との縁が交差することとなりました。

 

その後我が家ではしきたりを守り続け、シロ(46)までは辿り着きましたが、その次からは家族の勝手な呼び方となってしまいました。

つい最近旅立った最後の猫の名は阪神好きの家系から、コタロウ(虎太郎)でした。タイガースの好調を願ってくれていると思います。

また折りがありましたら、続きをお話ししたいと存じます。